ぬいぐるみとゲロ

 
 
 
よくわからないまま書いて完結しないまま転がってるこういうテンションのエントリーが山ほどあって、これもまたそれらの二の舞になるかもしれないと恐れながら書いている。
 
今年はとにかくいろいろあった。わたしに、ではなく彼らに、である。もっと正確にいうのであれば彼らを取りまく環境に、である。それらをみだりに列挙したりはしないけどとにかくいろいろあってわたしはそんなに疲弊はしなかったけど興味本位で該当担のSNSを閲覧しそういう感情の文章を読んだ。わたしは同じ事務所に年代も立場も違うであろう3人の推しがいて彼らにはおおきな痛手はなく今年はもうすぐ過ぎるからだ。
 
こんだけいろいろあって推しにはなにもないなんて奇跡だな、なんてのんきに胸を撫でおろす反面、ずっと思っていたけど考えないようにしていたようなことがどんどん表層化してしまって困っている。以下にそんな生粋の在宅茶の間、コン参戦は五体投地だと思っているオタクの負の感情をできるだけそのまま吐露する。ゲロが苦手な人はブラウザバック
 
 
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
コン参戦は五体投地って誇張でもなんでもなくて、なぜなら推しはわたしにとって神だからです。信仰は自由なはずので。推しは常に神としてわたしの生活を支えているわけですね。わたしは信仰という形で推しを崇拝し微々たるお金を落としているわけですが推しはそんなの知りません。いや当たり前なんですけど。わたしの世界ではわたしと推ししかいなくて、わたししか推しを知らなくてそれはいつも一方通行でいいわけなんです。地下アイドルでもあるまいし認知とかいらないし、推しは人間じゃないからガチ恋とかないし、寒いし。わたしは醜いゲロオタクなので推しの目に映ったら推しに嫌な思いをさせることになるし、これも自意識過剰で気持ち悪いし、とにかく。
 
推しはわたしにとって人間ではないです。以前三宅さんがとある芸能人の“性格”が好きという素人さんに「それ記事でしょ?記事見てるだけでしょ?」と言ってましたがその通りです。記事見てるだけです。テレビ見てるだけだし雑誌読んでるだけだしコンサート見てるだけです。それで人間の推しに到達できるわけなくないですか?わたしがふだん推しだと思って推しているあの人は実は人間のあの人ではなくてわたしが見たいものだけを見て信じたいものだけを信じたあの人の断面にしかすぎない。わたしの脳内に存在する推しはあなたの脳内には存在しなくてヴァイサヴァーサ。あっすいません、逆も然りという意味です。わたしの、みなさんの脳内にあるそれぞれの推しの皮を剥いで腹を割くと腸ではなく綿が出てきます。なんでだと思いますか?人間じゃないからです。それぞれが好きなように生み出した虚像だからです。
 
話が逸れました。つまり、生身の推しとわたしの間には常に仲介者が介在するということです。彼らをアイドルとして売り出してお金を得ている人、アイドルの彼らを取材することでお金を得ている人、彼らとコンサートを作り上げてお金を得ている人、いろいろな人が間に入ってようやく推しはわたしの前に紙や液晶を通して現れます。そんなことわかってるはずなのにわたしはしばしばそれらの仲介者の存在を、彼らの影響力の大きさを忘れることがあります。推しは、わたしの前に現れる推しは、常に編集されています。わたしはついに推しの、生の声を聞かずして死ぬのです。
 
それらが全て正常に作用しているときはいいです。きっとそういうときにわたしは仲介者のことを忘れる。推しが近くて、会えそうに感じる。ただ、それらがかみ合わなくなってしまったとき、あなたは推しを嫌いますか?嫌いになりますか?仲介者ではなく推しを、嫌いますか?その、嫌いたい推しは存在しますか?あなたの脳内にいる虚像の推しらしき謎の物体を嫌いになったところで、推しを嫌いになったと言えますか?それでいいですか?そんなもん?そうか、そうですね、そんなもんですね。
 
わたしたちはずるいから、生身の人間の好きなところを好きに絶賛して嫌いなところを嫌って批判して。そんなのむちゃくちゃじゃないですか?
 
 
アイドルになりたかった男の子
純粋に応援したかった女の子
 
 
推しを嫌うのは簡単だけど、その前にあなたは推しの何を好きだったんですか?推しの何を好きで何を推しと採用として推していたんですか?嫌えますか?
 
 
 
 
 
わたしは何を言ってるんですか?もっと言いたいことがあったはずなのに、よくわかんなくなりました。まあどうせ最後まで読んでる人なんていないしいいですね。ゲロオタクのゲロはトイレに流すべきでしたね。